先月、父の一周忌法要がありました。
義理の両親も一緒に、4人で行ってきました。
八王子から香川まで、車で9時間。
いっきに9時間は義両親の負担になるからと、
前日に神戸まで行って泊り、
法要の当日に香川入りしました。
私と弟以外、親戚みんな高齢ですので、
葬儀と四十九日と今回と、誰も欠けることなく
再び顔を合わせられたことに皆心から喜んでいました。
「こんな機会がないと、もうみんなで会うこともないなあ。
これもお父さんがみんなを集めてくれたおかげやなあ」
母と弟と、お父さんのおかげや、と話しました。
法要の最後に、院主さんの法話がありました。
法話の最後にこうおっしゃいました。
『今日という日は、私たちの残りの人生の最初の日です。
今日という一日を大切に過ごしたいものですね』
まさにその通りだなと思いました。
毎日同じ日の繰り返しで人生は続いていく、
なんとなくこのくらいまで生きるんだろうなと想像する。
それが当たり前だと思うのです。
だけど、父はあの日突然倒れそのまま逝ってしまいました。
ずっと同じ日が続くと思っていたのに、あの日から変わってしまいました。
今日という日が残りの人生の最初の日だと思うと、
すごく尊く感じます。
過去を振り返ることも、未来を思い描くことも大切だけど
本当に生きられるのは「いま」この瞬間だけ。
だからこそ、今日という一日を丁寧に、大切に、誠実に過ごしたいと思います。
そして、この気持ちを忘れずにいれば、どんな日も意味のある一日になると信じています。